極限状態、その時人が取る行動とは?『野火』大岡昇平あらすじ/感想


こんにちはshunです!

今回はこちらの本を読了したので、紹介していきます。

『野火』

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大岡昇平の『野火』は戦争を扱った文学です。第3回読売文学賞・小説賞という読売新聞社の賞を受賞しているそうで、映画化も実現しています。私個人としては大岡昇平の作品を読むのは初めてで、映画の方は見ていません。

それでは早速あらすじの方に入っていきます。

『野火』あらすじ/要約

舞台はフィリピンのレイテ島。太平洋戦争で日本の敗北を決定づけられていた頃である。

主人公の田村一等兵はその戦闘中、肺病に襲われる。そしてたった数本の芋だけを渡されて隊から追い出されてしまう。戦争中に肺病病みは隊の中では足手まといでしかなかった。

田村は飢餓の極限状態の中で、兵士の死体を発見する。それは友軍、すなわち日本軍の兵士の屍体だった。よく見ると、臀部(=尻)の肉がなくなっている。

それはすなわち、そこで人食が行われていたことを意味していたのであった。

極限状態の中で、田村がとった行動とは・・・?

以上が『野火』のあらすじとなっています。

生存本能VS人間としての理性

田村一等兵は飢餓の状況で、死にかけていた将校は彼にこんなことを言います。

「何だ、お前まだいたのかい。可哀そうに。俺が死んだら、ここを食べていいよ(p129)」

「俺を食べてもいいよ」普段絶対に言われることのないその言葉が出てくるこの状況が常軌を逸していることは誰の目にも明らかなはずです。

田村はその将校が動かなくなった後、その将校の肉を食べようをします。しかし、その時奇妙なことが起こったのです。

何と、剣を持っていた彼の右手を、自分の左手が握って遮ろうとしたのです。

食べなければ自分が死んでしまうかもしれない。しかし、人間の肉を食べてしまったら、もう自分は人間ですらないのではないか。

生存本能と人間としての理性が生死の境で、激しく衝突しています。

倫理観という虚妄

倫理観とは、社会での善悪・正邪の判断において普遍的な基準のことを指します。

しかし、倫理観はある程度の「生の保証」の上に、その基礎を成しているように私には思えて仕方がないのです。自分の命が安泰だとわかっているからこそ、社会の基準を守ろうとするゆとりが生じてきます。

周りの友軍兵が数時間で命を失ってしまうような、戦争という状況。そんな状況の中では、倫理観なるものは虚妄でしかないのではないのでしょうか。

人肉を食べなければ死ぬ。そんな状況の中では、社会での善悪がどうであるかなど何の役にも立ちません。自分の命が窮地に陥った時、そこではあらゆる倫理観が失われてしまうのではないでしょうか。

『野火』感想/まとめ

この本は単に「戦争の恐ろしさや悲惨さ」を訴えているような本ではないように私には思えます。戦争の恐ろしさを描き出している本としては『硫黄島』などの方が適切なのではないか思います。

本書『野火』を読んで最も私が実感したこととしては、人間は死の危機にさらされた時に、自分の命を優先する生き物であることに気付かされました。

東京喰種というアニメで神代利世というキャラクターがいますが、彼女は作品の中でこんなことを述べています。

「生きるというのは他者を喰らうこと」

私たちは普段の食生活でも動物や植物の命をいただきながら生活しています。普段あまり目に見えることはなくても、どこかで私たち人間のために、生き物が犠牲になっているのです。

どんなに普段利他的に振舞っていても、死を間近にした極限の状況では、私たち人間は自分の命を優先する利己的な生き物なのかもしれません。まあ、利己的な生き物だからこそ、今まで生存することができたのかもしれませんが。

そんなことを本書『野火』を読んで感じました。もし感想やあらすじなどを見て面白そうだなと思ったらぜひ手に取って見てはいかがでしょうか。

それではまた〜。

<記事で触れた書籍一覧>

『野火』

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『硫黄島』

『硫黄島』

『硫黄島』菊村到  角川文庫

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